年に一度の御開帳 海蔵寺のお地蔵さん
焼津移住ミュージシャンの湯~イチです。

海蔵寺のお地蔵さんを見たい!!
年に一度だけお地蔵様を見れる!
名だたる大名に愛された小川のお地蔵さん
7月23日24日は海蔵寺で、年に1度だけご本尊のお地蔵さんを拝観できる御開帳法要が行われます。
そこで、今回は海蔵寺をご紹介します。
焼津市指定文化財の本堂
こちらが海蔵寺の本堂です。

焼津市指定文化財になっている、総けやき造りの本堂は、江戸時代の終わり頃、万延元年(1860年、今から160年くらい前)に建てられました。
お寺そのものは、平安時代末期の後白河天皇によって建てられたとされているので、850年以上前からこの地にあるお寺だと思われます。
ご本尊は◯◯のお地蔵さん
このお寺の御本尊、つまり仏様は、お地蔵様、地蔵菩薩なんですが、ちょっと由来が変わってるんです。
ふつう、仏様は、いつ、どこの仏師が彫った、という記録が残ってるんですけど
このお地蔵様は、あるところからやって来たんです。
さて、どこでしょう??
答えは
海から引き上げられたんだそうです。
海蔵寺のお地蔵さんにはこんな言い伝えがあります…
明応9(1500)年の夏のことです。城之腰村の沖の海で毎晩なにか光るものがあり、村の人たちは、いったいなんだろうかと、ふしぎがっていました。そんなことがつづいたある日、吉平さんという漁師が鰯をとるために網をしかけて、さて引きあげようかとしたところ、何かずっしりと重たいものが網にかかっていました。見ると1メートルほどもある木のお地蔵さんでした。吉平さんはびっくりして、急いで引きあげ、思わず手を合わせておがみました。そして、小さな仮のお堂を建ててまつりました。それからしばらくしてからのこと、村人の一人が夢をみました。夢の中にお地蔵さんがあらわれて、「この浦の西にある安養寺は、わたしと縁のあるお寺である。わたしをそこに移したなら、きっとおまえたちを守ってやろう。願いごともかなえてやろう」と言いました。村の人たちはこれを聞き、「ありがたいことだ。ぜひ安養寺におまつりしよう」といって、そのお地蔵さんをお寺に運びました。海からあがったお地蔵さん…。こんなふしぎな縁があったので、それから海蔵寺とよばれるようになりました。
海蔵寺のお地蔵さんを見たい!!
海から上がったお地蔵さんは
この地区の名前「小川(こがわ)」から小川のお地蔵さんと呼ばれ親しまれています。
この御本尊、こんなお姿をされています。
なんで、写真じゃないかというと、実はこの御本尊は秘仏のため、
お姿は見られません。
写真も基本的には公開しちゃいけないそうなんです。
だから、僕が資料を元に絵を描いたんですが、たぶんそっくりです(笑)
とても色白で、色彩豊かなお召し物をまとっていらっしゃって、金色に輝くものの上に座っていらっしゃる。大きさは、実際の人くらいの大きさです。
年に一度だけお地蔵様を見れる!
実は、この仏様の姿を拝観できる日が年に1回だけあります。
それが、
7月23日24日の御開帳法要 です。
このときには、屋台も出て、すごく賑やかなんです。
今でもたくさんの人で賑わうんですが
古くは遠く、浜松や沼津の方からも初盆のお参りに来ていたそうです。
この御開帳の日に行われる、全国でもめずらしい風習があります。
それは、初盆を迎える故人の着物を本堂に吊るすという風習です。
本堂の天井には、このように着物を吊るす竿があります。
また本堂の奥には、このような厨子(ずし)があり、ここに収められているご本尊を、年に1度だけお参りすることが出来るんです。
この厨子は、1780年に作られたんですが、ある大名から寄進されたものという記録が残っています。
それが、紀州徳川家。
名だたる大名に愛された小川のお地蔵さん
お地蔵様は、非常に霊験あらたか、と、住職がおっしゃっていたんですけど、つまり、とてもご利益があるということで、江戸時代には、名だたる大名が帰依していたそうです。
海蔵寺に帰依した武将
- 紀州徳川家
- 西尾家 遠州横須賀城(掛川市)
- 本多家 田中城(藤枝市西益津)
特に紀州徳川家は、かなりの入れ込みっぷりで、紀州徳川家初代の徳川頼宣(家康公の十男)は、紀州、和歌山にこの地蔵菩薩を連れていきたいと住職にお願いしたそうです。
でも、地域の人々にも信仰されている仏様ですから当時の住職は困りました。
そこで、住職は頼宣公にこう言ったんです。
「頼信公、このお地蔵様は、小川にいるからご利益があるんです」
それで、頼信公は、わかったと言い、そのかわり、自分自身の守り本尊として、戦の時に兜に付けていた地蔵尊を厨子に収めて、海蔵寺に安置してもらったそうなんです。
これがその厨子です。
そんなご縁で、紀州徳川家は代々、参勤交代で岡部宿に本陣をかまえた時には、住職が祈祷した御札を届けており、徳川家からも様々なものが寄進されています。
絵に描いた馬が逃げ出した!?
海蔵寺の本堂に入ってすぐ右上には、幅2メートルほどの大きな絵馬があります。
この絵馬には面白い伝説があります。
この絵馬は、江戸時代に遠州横須賀城のお殿様が寄付したものでお殿様の愛馬「黒雲」を描いたものです。
絵師は心を込めて馬を書きましたが、馬の手綱(馬をあやつる為の綱)を描きおえる前に倒れてしまい、
絵馬はそのままお寺に奉納されました。
ある年、大きな地震がありました。
地震がおさまって、お坊さんが本堂の様子を見に行くと、不思議なことに絵の中の馬がいません、
おどろいて探したところ、草を食べている馬を見つけました。
急いでつかまえようとしましたがなかなかつかまえることができません。
そこで、馬がぬけ出した絵を持ってきて、この絵を馬に見せるようにして絵の中に馬を追い込みました。
こんなことがあったので、その後、馬が逃げ出さないように、絵師に手綱を描きたしてもらい、本堂にかけました。
それからは、二度と馬が逃げ出すことはありませんでした。
この絵馬は、お参りすればいつでも見ることが出来ます。
ちなみに、絵馬が白く汚れていますがこれにも理由があります。
古くは、濡らした和紙を絵馬に投げつけると願いが叶うという風習があったそうで、そのせいで絵が隠れるほど白くなっているんです。
他にも見どころがいっぱい
本堂の入口には、焼津七福神巡りの大黒尊天が祀られています。
こちらのお地蔵様はいつでも拝観できます。
天井には、様々な花の絵が描かれています。
入口の鐘をつく紐(鈴の緒?鐘の緒?)は、焼津特有の、漁師さんが編んだ網で飾られています。
やいづTV「目指せ!焼津観光大使」でもっと詳しくご紹介
僕の番組「目指せ!焼津観光大使」では、海蔵寺のことをもっと詳しくお話していますので、お時間のある時にぜひご覧ください。
ぜひ、海蔵寺にお参りにお越し下さい。